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下工弁慶号

仕様 生まれと歩み 昔の写真 30年ぶりに 下津井電鉄 70周年で 柳井で走る
桜々フェスタ 公民館で 市に寄贈 展示格納庫 北勢線へ 最新情報



★「下工弁慶号」を下松市に寄付

        ・・・平成7年12月22日、「下工弁慶号」を下松市に寄付したことを
                               紹介した当時の新聞記事を抜粋しました・・・



「夕刊周東」 平成7年12月22日

   「下工弁慶号」寄付採納
      市にて永久保存を 
         定期的な運転も 
            米泉湖河畔に展示格納

 「下工・弁慶号」として全国に知られる小型蒸気機関車が22日、民俗文化財として市に寄付され、永久保存されることになった。
  寄付採納は、22日(金)11時から市庁舎内の市長応接室で行われた.管理する県立下松工業高等学校同窓会・(社団法人)下松工業会から深町和彦会長、下松工高から石部薫校長が出席して河村憐次市長に手渡された。
  寄付されたのは「下工・弁慶号」の小型蒸気機関車(サドルタンク式、レールゲージ762ミリ)に付属する客車ー両、レール(150メートル)一式、鉄道プラットホームー台であった。この財産・価値は、日本に2台しか現有しておらず、その一台は博物館入りしており、マニアによると1億円とも2億円ともいわれるすばらしいもの。
  この蒸気機関車「下工・弁慶号」は、昭和9年に教材として徳山燃料廠から払い下げを受け長年にわたり学校に保管されていたが、S Lブームに乗って昭和56年に修理され、全国のイベントに貸し出されて「弁慶号」を残すことで地元下松市で保有することを最優先として、下松市と折衝していた。  ようやくにしてまとまり文化財として寄付採納を受け、展示格納して永久保存することになった。市としては、米泉湖河畔の整備計画の一環として民俗資料館の建設が計画されており、これにのせて「下下工・弁慶号」の展示格納庫を設けることで県とも協議して新年度予算に計上することで受け入れ体制を整えることにして急ピッチにすすめられている。
  河村憐次市長は、正式に寄付を受けた「下工・弁慶号」について、市民の貴重な財産として永久保存し、要望どおり展示格納したいと、喜びを語っていた。
  また、寄付した深町和彦下松工業会会長は、すばらしい財産が市にて民俗文化財として永久保存されることになり、一安心している、と述べていた。
  この「下工・弁慶号」は現在、柳井市内に貸し出されているが、市にての受け入れ整備が整う予定の来年10月までに納入される。
  要望される展示格納方法としては、市にて構想される米泉湖河畔周辺の整備として民俗資料館などの建設計画があり、その一つとして「下工・弁慶号」を展示格納して、さらにイベントらで定朋的に運転する。
  このため、市では新年度当初予算において必要経費を計上して、納入予定の10月までに受け入れ整備をする。これには末武川タムを管理する県の許可を受けて、米泉湖河畔周辺にマッチした展示格納庫が建設され、その広場を一周するレールを延長450メートルで敷設されることになる。
  さらに市観光協会では、地元の花岡・米川地区と共催で、11月の連休を利用して「下工・弁慶号」を目玉とした大々的なイベントが企画される。




「読売新聞」 平成7年12月23日

   弁慶号を寄付
   社団法人 下松工業会
    明治時代の蒸気機関車「弁慶号」を寄付下松市に申し出る

下松工高の同窓会「社出法人下松工業会」(深町和彦会長)は、22日所蔵する明治時代の蒸気機関車「弁慶号」の寄付を下松市に申し出た.河村憐次市長は「文化財として、有効利用したい」と快く引き受けた。
 弁慶号は1907年に石川島造船所(現・石川島播磨重工業)でアメリカの小型SLをモデルに製造したと言われ、全長4メートル、最大高2.4メートル、重さ5.5トン、1934年に徳山海軍練炭製造所から同校に60円で払い下げられ、81年に同校生徒らが整備して復元、日本で唯一保有され、しかも走行可能なため、財産価格は「数千万円から1億円」(同会)という。
  現在、柳井市の柳井総合卸センターに貸し出され、第二日曜日に約200メートルを走行、子供たちに喜ばれている.ボイラー整備費や燃料代など年間約50万円を同センターが負担しているが、走行用地に道路建設の計画があるため、寄付することにした。来年10月、下松市内の日立製作所笠戸工場の創立75周年で走ったあと、市に引き渡される。
  同会は米泉湖畔の設置、走行を希望している。市は「場所選びや格納庫作りなどの準備を整え、万全の態勢で迎えたい」と、話している。



中国新聞」 平成7年12月24日

   明治生まれの弁慶号 小型
SLを下松市に寄贈

            下松工高同窓会が申し出「貴重な文化遺産活用を」

 下松工業高校(石部薫校長、560人)の同窓会、下松工業会(深町和彦会長)は22日、会の所有する小型蒸気機関車「弁慶号」と客車一両、レール150メートル、プラットホームなど一式の寄付を下松市に申し出た。河村憐次市長は「市民の要望を聞いたうえで、保存、活用法を検討したい」という。
  弁慶号は全長4.05メートル、幅1.53メートル、高さ2.4メートル.規在、柳井市柳井の総合卸センターに貸し出されている.来年10月、日立製作所笠戸工場の創業75周年事業で走らせる計画もあり、市への移管はその後になる見込み。
  弁慶号は1907年(明治40年)、東京の石川島造船所(現・石川島播磨重工業)で製造された国産機関車6両の1つ、徳山海軍練炭製造所で石炭輸送に使われていたのを、1934年に同校の前身、下松工業学校が生徒の教材用として譲り受けた。
  戦後は校庭で風雨にさらされていたが、1981年の学校創立60周年記念事業で教職員、生徒の手で修理、再生以降、各種のイベントなどで活躍している。
  しかし、ボイラーの修理など維持費が年に40万円も掛かっている。下松工業会は「貴重な文化遺産、市で有効利用してほしい」と寄贈に踏み切った。



「日刊新周南」 平成7年12月25日

         ”下工弁慶号”を市に
             下松工業会が寄贈「貴重なSLを文化遺産に」

 下松工高の同窓会、下松工業会(深町和彦会長)は長く同校が保存してきた1907年(明治40年)製で今は1台しかない同会所有の小型蒸気機関車「下工弁慶号」を貴重な文化財産にしてもらおうと市に贈ることになり、22日、深町会長が河村市長を訪ね、目録を手渡した。
  下工弁慶号は1992年(平成4年)から柳井市の協同組合柳井総合卸センターに貸し出され、今も毎月第二日曜日に元気に運転されてきており、近く返される。今回は車両のほかに、定員20人の客車と150メートルのレール、プラットホーム1台も贈られた。
 鉄道マニアの間では数千万円から一億円の価値があるといわれる下工弁慶号はアメリカの名機関車で、日本では”弁慶号”の愛称で親しまれたポールドウィン小型機関車をモデルに、石川島造船所(現・石川島播磨重工)で造られた6台のうちの1つ。動くものではこの1台しか残っていない。
 長さ4.05メートル、高さ2.4
メートル、幅1.53メートル、重さ5.5トンで、車体は緑色。小型だが、明治時代の機関車独特の長い煙突、美しい車体に動輪2輪、ボイラー上部にサドルタンクがあるのが特徴。前部中央には同校の校章と「下松工高」のプレートがある。
  1934年(昭和9年)ごろまでは徳山海軍燃料廠で石炭運搬に使われていたが、その後、同校が60円で払い下げを受け、原動機の実習用に使っていた。しかしそのあとは30年間も放置したままだったが、1981年(昭和56年)に職員、生徒が力を合わせて修理し、記念行事でグランドを走った。
  このあとも1987年(昭和62年)からは岡山県倉敷市の下津井電鉄に貸し出され、下津井駅のフラワーパークで運転、同校に帰った1991年(平成3年)に所有が同校から工業会に移り、この年の創立70周年記念式典でも職員と生徒たちが整備、再びグランドを走った。その後は柳井で活躍する間に、末武公民館祭りや切戸川桜フェスタ、中国電力創立30周年まつりなど、たびたび“里帰り“して市民に親しまれていた。
  この日は深町会長が、「弁慶号は市民の貴重な文化遺産.広く市民に親しんでもらい、できれば米泉湖畔に計面されている施設の一つとして有効活用して欲しい」と目録を手渡すと、河村市長は「利用方法は市民と相談してから決めたいが、新しい下松の顔にしたい」と答えていた。



「山口新聞」 平成7年12月25日

 「世界的な文化財”観光資源に活用を」
           明治40年製
S L贈る 
               下松工高
OB会、市に

 県立下松工高の卒業生で組織する下松工業会(深町和彦会長)はこのほど、戦前まで同校で使われていた明治40年製達の小型蒸気機関車を下松市に寄贈した。この機関車は8年前に修理され、今でも走られる状態。「走らせれば世界的文化財」とあって同工業会は「観光資源としても活用して」と要望.河村憐次市長は「必ず走らせます」と約束した。来年以降には90年近く前の勇姿が再現されそうだ。
  この機関車は「下工弁慶号」と呼ばれ、同校のシンボル的存在.明治40年、兵庫県の石川島造船所で製造された6両のうち現存する唯一の車両.全長4.05メートル、高さ2.4メートル、幅1.53メートル、重量5.5トン、ボイラーの上に水タンクを亀の甲のように背負っているため「亀の甲」と呼ばれ、世界的にも価値が高い。
  昭和初期まで旧徳山海軍燃料廠で使用、9年に同校が払い下げを受け、教材として活用した。戦後、校庭に展示されていたのを56年の創立60周年記念事業で修復。62年から4年間、瀬戸大橋開通記念として岡山県の下津井電鉄に、平成5年からは柳井市の卸総合センターなどにも貸し出されて各イベントで活躍している。
  走らせるには整備、維持費が年間約40万円も必要。同工業会は文化財的価値のある「弁慶号」を市に寄贈して、下松の新たなシンボルに活用してもらうことにした。併せて客車ー両、150メートルのレールなども寄贈した。現在、柳井卸センターで月一回、運転している.同工業会は「来年10月ごろ下松に引き取り、米泉湖周辺で活用してほしい」と要望している。
  市は庁内にプロジェクトチームを編成、活用方法を検討する。河村市長は「市民が一番喜ぶ方法で走らせたい」と話している。



「朝日新聞」 平成7年12月26日

          明治時代のSL寄付 
           下松工高同窓会・市が永久保存へ

 県立下松工業高校の同窓会「下松工業会」(深町和彦会長)は先日、明治時代の蒸気機関車「弁慶号」を下松市に寄付した。市は貴重な近代化遺産として、市内で展示、永久保存する予定でいる。
 「弁慶号」は米国ポールドウイン社の設計で、1907年に石川島造船所(現・石川島播磨重工業)で造られた長さ4.0メートル、高さ2.4メートルで重さ5.5トン、徳山市にあった海軍燃料廠で石炭運搬に活躍し、1934年に“引退”、同校の前身下松工業学校にボイラーの実習教材として払い下げられた。
  その後、校庭で放置されていたが、1981年に約300万円をかけて修復し、1987年に岡山県の私鉄に貸し出して現役復帰した。1992年からは協同組合柳井総合卸センターが、中国電力柳井火力発電所前で営業運転 機関車は同会の所有になっていた。
  今回の寄付は線路などが道路工事で取り払われるためで、深町会長(71)らが市役所で河村憐次市長に目録を手渡した。「下松には新幹線の車両を製造している工場もあり、鉄道と縁が深い。有効に活用したい。」と河村市長。「弁慶号」は来年9月まで柳井市で運転された後、下松市に移される予定。



「毎日新聞」 平成8年1月9日 

    「弁慶号」を下松市に寄贈
             下松工高同窓会 客車1両、レールなど一式も

県立下松工高同窓会の下松工業会(深町和彦会長) はこのほど、所有する明治時代の小型義気機関車「弁慶号」など一式の寄贈を下松市に申し出た.市は有効利用する方針.弁慶号は1907年(明治40年)に石川島造船所(現・石川島播磨重工糞)が製造.全長4メートル、高さ2.4メートル、幅1.5メートル、重さ5.5トン。
  1934年(昭和9年)、石炭輸送に使用していた徳山海軍燃料廠から下松工高の前身、下松工業学校が教材として払い下げを受けた.一時は校庭で雨露にさらされていた。しかし、S Lブームのなかの1981年、創立60周年記念として生徒らが修復して運転。1991年に下松工業会に移管され、市内外のイベント等で活躍した。現在は柳井市の柳井総合卸センターに貸し出している。
  下松工業会は客車一両、レール(150メートル)、プラットフォームも寄付。年間維持費は約40万円で、時価は合わせて6、7千万円から1億円相当、という。来年度には市に引き渡される予定。下松工業会は「民俗文化財として地域振興に役立てて欲しい。米泉湖畔で運転できるようになれば・・・・」としている。





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★「下工弁慶号」展示格納庫へ
  「下工弁慶号」展示格納庫(下松市役所前庭グリーンプラザ)落成式
     ・・・平成8年11月1日(金)  10:00〜  下松市役所グリーンプラザ

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