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下工弁慶号

仕様 生まれと歩み 昔の写真 30年ぶりに 下津井電鉄 70周年で 柳井で走る
桜々フェスタ 公民館で 市に寄贈 展示格納庫 北勢線へ 最新情報


★概略仕様




三重県桑名市 北勢線に貸出し中
北勢線 阿下喜駅の「下工弁慶号」
 「下工弁慶号」は1934年(昭和9年)まで徳山海軍燃料廠で石炭運搬に使われていたものを、山口県立下松工業高等学校が原動機実習機材として譲り受け、1981年(昭和56年)、生徒と教師の手で修復された後、市内外のイベントで沢山のお客を乗せて公開運転されました。
 1988年(昭和63年)には岡山県の下津井電鉄に貸し出され、現役復帰も果たしました。
 1988年(昭和63年)に、社団法人下松工業会に移管され、各地で公開運転されてきましたが、貴重な文化遺産を末永く保存管理するため平成8年下松市に寄贈され、展示されていました。
 2004年(平成16年)4月、北勢線開業90周年にあたり、同じ特殊狭軌(762mm軌道)で運行している北勢線の活性化のため下松市より貸し出されました。
 その後、2007年(平成19年)7月10日〜9月9日の間、江戸東京博物館(東京都墨田区)で開催された「大鉄道博覧会」にも貸し出され展示されました。
 2007年(平成19年)9月19日からは
再び下松市役所前庭のグリーンプラザ展示格納庫で展示されています。

仕    様
1  製作年  明治40年
 石川島造船所(現 石川島播磨重工業)
2  形   B.サドルタンク方式
 過熱蒸気2シリンダ式
 スチームブレーキ式
3  全    4,050 mm
4  高    2,400 mm
5  幅   1,530 mm
6  軌間    762 mm
7  重量     5.5   t
8  動輪径    584 mm
9  軸間距離   1,016 mm
10  煙管外径
 厚さ
 本数
   38.1 mm
    3.2 mm
    32  本
11  火格子面積     8.0  m2
12  主連棒長さ   1,097 mm
13  連結棒長さ    940 mm
14  ピストン径    158 mm
15  弁装置  ステンファンソン式
16  馬力    約80 HP

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★下工弁慶号の生まれと歩み             
・・・これは同窓生市川五郎氏(C20)から提供された調査資料です・・・

「下工弁慶号」の生まれに関する新聞記事
「交 通 新 聞」 昭和37年1月12日付 記事

   米国製三両のうちの一つ、下松の機関車、生まれ故郷判る
                                 C.Sスモールさんが調査

 昨年暮れ国鉄本社外務部を訪れたアメリカのレール、ファンが、部長室にあった本紙所載の機関車の写真を見て「これは下松にある古い機関車だろう」とピタリ言い当て、その機関車に関する記録が全くないということを聞くや「これは多分アメリカ製だ。帰国したら調べよう」と約したことは既報の通りだが、このほどその米人から外務部宛てに調査の結果がもたらされた。
 ・この米人は豪州メルボルンのモービル石油会社に勤務するC.Sモール氏で、山口県下松市の工業高校にあ る機関車の記録が不明だというので、帰国後調査を行なったもので「あの機関車はやっぱりアメリカ製」と次の ような調査結果が報告されている。
 ・帰国後、私の調べた結果、交通新聞掲載の山口県下松市工業高校の小型機関車は元、日本海軍燃料廠に あるものと信じます。同型の機関車は一号より三号までの三両は1908年1月にアメリカ、ペンシルバニア州フ ィデルフィアのボールドウイン機関車工場で製造されたものであって、製作番号は、32600、32601、3295 2番であります。
 ・これらは、それぞれ762ミリゲージ用のものです。従って下松市のものが2フィート6インチ(762ミリゲージ用) だとすれば間違いなく当該機関者は前記三両の中の一両であります。
以上とりあえずご連絡申し上げます。

                      豪州ビクトリヤ州メルボルンにてC.Sモール         


「下工弁慶号」の生まれに関する雑誌記事
鉄道雑誌 「鉄道ファン」 昭和38年1月号 掲載

           校庭のBoldwin
                    鉄道雑誌 「鉄道ファン」 昭和38年1月号掲載 庄田 秀

 下松市の町外れを流れる平田川沿いの下松工業高等学校の垣内に小さなB型サドルタンク機がおかれています。俗に「下工弁慶号」と呼ばれ、この地方では馴染みの深い存在です。昭和の初期に、徳山の海軍燃料廠から教材用として譲り受け、当時下工の創立記念日や運動会などには、子供を乗せて走ったとか。しかし、その頃からは何処の山のものとも判らず今日に至りましたが、米国のモービル石油会社のC.Sモール氏から在日中に見たこのLOCOについて「帰国後調査の結果、当時(年代不明?)Boldwinで三両製造したものの中の一両であることが判った」の通知があった事を37年3月27日付の中国新聞山口版は報じています。私もなにか手掛かりになるものはないか詳細に見てみましたが、お定まり通り銘板は一切なく、また、ロツド頼も防蝕のため厚化粧をしており、なんらの手掛かりをも探り出し得ませんでした。


「下工弁慶号」の生まれに関する資料
(資料)

        ※ 校庭下工弁慶号は国産か?

            株式会社 交友社(雑誌「鉄道ファン」発行:本社名古屋市千種区宮西町3丁目)
                                         編集部 諸河 久氏からの提供資料

 昭和46年夏休み(8月)のある日、上記交友社の諸河久氏が下工弁慶号を撮影の為に来校されたので、私が面談したところ、意外にもにも下工弁慶号は国産であるとのことで、詳しい資料の提供を求めたところ次のような資料が証拠写真とともに送られてきた。

スモール氏が調査されたアメリカ・ボールドウイン製のものは、この機関車です。下松のものと全く似ていますが、これをそっくり真似てわが国で造ったわけです。

       校庭のBoldwin(1月号サロカー)は国産
               鉄道雑誌 「鉄道ファン」 昭和38年3月号掲載 白 井 茂 信
                        東京大学生産技術研究所教授(蒸気機関車の研究家)

 庄田 秀氏からお知らせのあった下松工業高校に保存のボールドウイン、サドルタンクについては、昭和36年12月19日付交通新聞に「私は誰でしょう・・・生徒に愛される、下工弁慶号」という題で紹介され、さらに37年1月12日付で「米国製三両中の一両、下松の機関車生まれ故郷判る。C.Sモール氏(モービル石油技師)が調査」という見出しで解答が掲載されたことがあり、興味をもたれた方も多いかと思います。 しかし、この機関車はC.Sモール氏の言われるボールドウインではなく、実は国産と推定されます。私はまだ実際に現物に接しておりませんので推定という言葉を使いましたが、色々な点から間違いないと考えます。というのは数年前、小熊米雄さんと石川島重工業株式会社の社史編纂室をお訪ねした際、同社の保存資料の中に、これと同形のものを発見したからで、海軍に納入した記録もありました。この機関車は一見ポーター乃至ボールドウイン風ではありますが、細部の作りが違います。ボールドウイン・(川上幸義氏による)には、確かに徳山海軍燃料廠納入のものにB型タンクが2形式五両がみられますから、C・Sモール氏は単に海軍→下松工業高校という事実と、このリフトから推定され解答を寄せられたものと思われます。石川島の機関車国産化(特に小型機)という問題は、なかなか興味のあることで生産技術史的にみれば雨宮の先生格に当たりましょう。ただ同社が船舶方面にカを入れ、鉄道車両はその後殆ど生産しなかったため一般にはあまり知られず「石川島」の存在に気が付かなかったのではないでしょうか。下松のボールドウインについての交通新聞の記事に対しての修正意見は小熊さんから申し出られましたが、今日までそのままになり、いまだ、ボールドウインと信じている人が多いと思いますので、あえて、本誌を通じ再検討の要あることをお伝えしておきます。


(石川島造船所製 5.5屯機関車)         (下松工業高校における機関車)

「下工弁慶号」の歩み
・・・同窓生市川五郎氏(C20) 「調査まとめ」・・・

 
下工弁慶号の歩み

※昭和46年9月11日付、鉄道ファン編集部諸河 久氏から私宛ての文書で「下工弁
  慶号」は石川島重工業株 式会社製の国産車両であることが石川島重工業株式
  会社で確認された旨の連絡があった。

※「下工弁慶号」は、明治40年に石川島造船所(現在の石川島播磨重工業株式会
  社)で6両?製造された国 産機関車の1両で、現在可動している唯一の機関車で
  ある。
  昭和9年まで徳山海軍練炭製造所で石炭の運搬 をしていたものを、下工が当時
  に60円で譲り受け原動機実習等に使用していた。戦前は修理を重ねて一時期 は
  創立記念校内開放行事等で運転されたこともあったが、その後、約30年間も校庭
  で雨露にさらし展示して いたものを、昭和56年(創立60周年記念事業)に職員、
  生徒により修復して運転された。
※石川島重工業株式会社108年史、東京石川島造船所50年史
  明治40年(1907年)大日本軌道株式会社からの注文によって、同形の機関車約
  20両製作したというのと、 同じ年に軽便鉄道(7t蒸気機関車)20両及び5.5t蒸
  気機関車を製作し、大日本軌道株式会社へ納入したとの、二重の記述がある。
  白井教授(東大生産技術研究所)は「ボードウイン」を見本にしたB型サドルタンク
  で海軍用は3.5t(5.5tは誤り)で同じく「ボードウイン」のトラム・ロコを参考に製
  作し、大日本軌道株式会社の納入したものと解釈されている。内訳は、海軍6両、
  小田原支社3両、熊本支社4両、福島支社7両と考えられているが、が、福島支社
  は、未確認機があり正確は期し難い。
  海軍用の5.5t機?は、横須賀造船所「BLW4−8C」が手本と思われるが、シリ
  ンダーは6×10″、動輪直径3′8″、軸距離3′4″であった。
  大日本軌道株式会社向は全部(へっけい形)で、製造はどこよりも古く「石川島」
  が原作といえる。最も基本は、熱海鉄道の「BLW4−2C」で、被いを廃し、水タン
  ク様式をサイドに改め、シリンダーは4-3/4×10″と一回り大きいものと推定され
  る。
※下松工業への払い下げの年
  昭和9年まで?  徳山海軍燃料廠で使用
  昭和11年頃?  払い下げ後に整備した卒業生の話
※「下工弁慶号」の運搬方法
  徳山海軍燃料廠から大海町沖の浅瀬まで艀を用いて、陸上は丸太を並べ、上に
  厚い足場板を置き転がした。
※蘇った「下工弁慶号」
  昭和54年8月1日  山口線にSLが正式にダイヤに組み込まれたことで話題と
                なった。
  ◎修復作業の開始  昭和54年1月  校内で母校の職員、生徒が作業を担当
                平成14年3月18日  JR小郡機関区でのSLフォーラム
                において、山口短大電子情報科利根川貞夫教授(元下松
                工業高校電気科教諭)が、昭和54年1月から機械科の先
                生達と「下工弁慶号」大改修(完全分解・組み立て)の模様
                を自作のビデオ(走った下工弁慶号)を上映(分解部品の
                紹介等)され、当時の同僚達との苦労話があった。
  ◎修復の完成    昭和56年10月 (創立60周年記念事業)
  ◎昭和56年10月15日 創立60周年記念式(記念行事として、校内を一般公開
               運転)
  ◎運転後の管理    記念行事後、前庭の車庫の納入
               昭和58年7月 防錆油充填用として、日本石油精製鰍ゥら
                         防錆油ドラム缶3本の寄贈を受け、ボイラー
                         に充填したが、後の整備で大変支障となっ
                         た。
  ◎下津井電鉄鰍ヨ出向  昭和62年9月3日〜平成3年9月(瀬戸大橋完成記
               念事業)トラックで、下津井電鉄鰍ヨ出向。下津井電鉄
               構内で解体、完全修復作業の開始。
               昭和62年12月27日  始運転開始
               3ケ月の日数、350万円の経費
               12月30日  公認許可証を受ける。(年1回汽缶の整備
               検査:約35万円)
               昭和63年3月12日 下津井電鉄且剴駅、駅舎竣工披露
                ・・・当初の予定では、下津井駅ー児島駅間を往復運転す
                   ることになっていたが、この間は線路に曲がりが多く、
                   運転が困難なために変更。
               下津井駅構内に円形レールを敷き、フラワーパークにして
               イベントを行う。
  ◎平成3年4月1日  「下工弁慶号」の所有権が下松工業高校から下松工業
               会(同窓会)へ移管される。
  ◎平成3年9月    「下工弁慶号」下松工業高校(同窓会所有の車庫)へ帰る。
  ◎平成3年10月15日  創立70周年記念行事として校内を公開運転する。
  ◎運転後の管理  記念行事後、前庭の車庫に格納
  ◎平成4年12月1日〜平成8年3月31日
               柳井市、協同組合柳井総合卸センターへ貸し出し
  ◎平成5年10月28日〜11月2日
           末武公民館祭りへ貸し出し(イベント:10月30日〜10月31日)
  ◎平成6年3月31日〜4月6日(4月1日〜4月4日)
           下松市市制55周年記念  切戸川桜桜フエスタ ’94へ貸し出し
               (イベント:4月2日〜4月3日) 
  ◎平成6年9月4日(日)  (9月2日〜9月5日)
           中国電力下松火力発電所 創業30周年記念イベントで公開運転
  ◎平成7年12月22日  「下工弁慶号」を下松市へ寄贈する旨申し出る
  ◎平成8年10月26日  鞄立製作所笠戸工場 創立75周年記念イベント
                  (構内で運転、一般公開、試乗)
  ◎平成8年10月30日  下松市へ寄贈、米泉湖湖畔の格納庫に収納予定で、
               格納(車)庫の設計及び、湖畔一周運転の路線計画も完成
               していたが、移動の経費とそれに伴う「下工弁慶号」の損傷
               及び将来の可動年数(寿命)等に見通しが立たず、観光客、
               市民、特に地元米川地区の方々に大変期待されていたのに
               、やむを得ず計画を中止した。
  ◎平成8年11月1日  「下工弁慶号」展示格納庫落成式(下松市役所グリーン
              プラザ)以後、この格納庫で展示されている。
  ◎平成16年3月  三重県桑名市 北勢線(「下工弁慶号」と軌道幅が珍しく
               同じ)の開通90周年記念事業に、修理費先方負担を条
               件に、平成19年3月まで貸し出す。
               同年が、「下工弁慶号」製造100周年記念となる。
  ◎平成19年7月10日〜9月9日の間、江戸東京博物館(東京都墨田区)で開催
               された「大鉄道博覧会」に貸出し展示された。

  ◎平成19年9月19日 貸し出し期間満了により、再び下松市役所前庭グリ−ン
               プラザの展示格納庫で展示されている。
  ◎平成19年10月13日、下松ライオンズクラブ等が主催 「おめでとう100歳!
              下工弁慶号お祝いの会」が開催され、市内の保育園や幼稚
              園児約300人が集まり”長寿”を祝う。この催しは、地元テレビ
              でも放映。

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